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■ 新しい情報■

■■■ HPの写真及び文章等の引用に関して
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# by venex4 | 2009-02-16 00:50 | ■■新しい情報■■

■ 佐中千年家(進藤邸)

■ 佐中千年家(進藤邸)
朝来市旧山口村の佐中にひっそりと建っている進藤邸。
登録文化財調査で写真を撮らしていただいた。その中の一部を施主の進藤氏の了解を得てご紹介します。
他のHPで佐中千年家を紹介しています。ご参考に・・・・
▼ 配置
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▼ 外観
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庭の中にある大きなカヤの木は目通し幹周り3.0m。高さは18m。枝張り14.0mもある。
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▼ 母屋内部
建築年代は不明。ある文献には鎌倉時代と書かれた文献もある。他のHPで建築士協会と書かれているが十数年も前にわれわれが勝手に言ったもの。ただ柱は大黒柱28.5㎝角。土間の柱が30㎝角。小黒柱20㎝×18・5㎝など部材は大きくそして古く年代を感じることが出来る。
梁も大きく直径40㎝もある。
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■ 軸組みのCG 母屋だけ

▼ 新座敷内部
明治34年ぐらいに建てられたもの。
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▼ 井筒蔵内部
柱を使わず壁を井筒に組んでいる。生野の吉川邸(まちづくり工房井筒屋)にも同じ形態の蔵がある。天井板も厚いので垂木もない。
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壁板が井形に組んでいることが解る。また柱形も無い。
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文政四年の文字が見える
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▼ 土塀と石垣
乱尺積みの石垣は江戸時代もしくはもっと古いもの
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# by venex4 | 2007-12-27 21:58 | ■ 佐中千年家(進藤邸)

柴垣邸

■ 柴垣邸
柴垣家は元禄時代から続いており、当主は9代目にあたる。庄屋弥兵衛とも呼ばれ、戦前(祖父の代まで)は財力があり、堅実な暮らしを目指されていたが、戦後農地改革により一変。
専業農家として、梨、養鶏、アスパラガス等田畑に根ざした生活を営まれてきた。
母屋は大正初期、はなれは明治初期に建築。周囲の土壁や門構えは元禄時代の原形を保ち、家のまわりの自然と調和がとれてとても美しい家である。
母屋を昭和初期に改築されたとの事だが、どの部屋から見ても家の中全体の調和がとれていて、かえようが無いくらい現代の生活にマッチしている。
今も昔のままの生活をしているとおっしゃっているが、物を大事に大切に扱ってこられた様子が家の随所から伝わってくる。 「但馬学99年1月例会より」
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# by venex4 | 2006-10-15 09:57 | ■ 柴垣邸

■ 平尾源太夫邸

■ 平尾源太夫邸
年代 明治28年着手
場所 豊岡市○○

平尾家は、江戸時代、元禄期から土地の集積をはじめ、幕末に至る約180年間で、実に207町歩という広大な面積の田畑を有する但馬最大の地主でした。
一般農民が領主に対する年貢米に困って平尾家を頼り、その代償として土地の「永代譲渡」をしたものが元になったようです。
平尾家は、このように近世以来の当地の名家であり、農地解放以前は但馬地方では最大、県下でも屈指の大地主でした。敷地は森尾の集落の中央に位置し、一般の民家は川沿いに建っていますが、平尾家は敷地内に川を取り込んでいます。
川に面して川井戸が設けられ、その後方に主屋が川に並行して建ち、主屋の上手には本蔵、さらにその上手には離れ座敷が建ち、また、敷地の周囲は隠居部屋や蔵や小屋が建っています。さらに、主屋上手の前方は板塀で囲って庭園をつくり、離れ座敷背面にも庭園を備えています。主屋の建立年代は、手斧初の時に作られた札により明治28年11月14日に着手され、その数年後に完成したと推定されます。大工は西田磯治氏、豊岡の宮大工と伝えられています。磯治氏は、大屋町の鎌田家(「兵庫県住宅100選」)も造ったとされ、近辺の豪邸をいくつか手掛けてきたと言われています。
架構(屋根構造)は、伝統的な和小屋と推定されますが、下手土間側の屋根を切妻造りとして、妻に疑似トラスを見せており、新様式を積極的に取り入れている様子がうかがえます。
主屋は、吟味された良材をふんだんに使用している上に、権(床などの化粧横木)、鴨居(引戸などの上部の横木)、長押(柱と柱をつなぐ水平材)、建具等を漆塗りとしたり、手の込んだ仕事がなされ、しかも現在でもほとんど狂いがありません。明治期の建物らしく、江戸時代とは異なった要素が認められ、明治期の住宅の様相をよく示し、その時代を反映しています。
「新緑の史跡と旧家を訪ねて」 豊岡市出土文化財管理センター

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■ 外観
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# by venex4 | 2006-09-17 20:20 | ■ 平尾邸

赤木家( 砂防の父 赤木正雄生家) 5年7月10日 8月27日 調査

■ 赤木家(砂防の父 赤木正雄生家)
 明治 3年竣工 兵庫住宅100選のうちの「住宅10選」にも選ばれている
場所 豊岡市引野972
円山川は普段はゆったりと流れる静かな川であるが、一度洪水に見舞われると、このあたりは一面冠水してしまう危険な河川である。昔から毎年水害との戦いの歴史の繰り返しであった。
ところが明治という年号に変わった時代、円山川が氾濫した時を想定し、周辺の人々に炊き出しの食料を配るための木船を軒下に吊るしている。
また濁流が直設家屋にあたらないように竹を家の周囲に植えるなど、防災の拠点として備えを考慮して作られた農村大地主の邸宅

▼ 全景
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▼ 表側
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▼ 裏側
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▼ 母屋
所謂六間取りの平面である。門正面の応接間と便所の前に玄武岩が目隠し状に積んである。この石は主人の結婚式の時に近郊の村人から送られた由緒あるものだそうだ。
 主屋の東北端にこの家で一番良い部屋で「奥の間」と呼ばれる本座敷がある。2方かね折畳縁を回した8帖敷で、出書院付き一間の床の間、一間の違い棚付きの座敷で竿縁天井、約3寸巾の長押には各々異なる姿の鶴の釘隠しが付いている。
 奥の間を囲むように工夫を凝らした庭がある。出石の殿様から拝受したといわれる花梨の大木や、樫などのこの地域のシンボル的樹木、及び日高国分寺かもらったと言われる礎石の踏み石等。枯れ山水の大きな石組の川と滝、石橋など一級の庭である。
 小屋裏を利用した3階は養蚕と芋などの保存を兼ねた空間で、太い登り梁が3本の柱で支えられた61畳の広さである。
▼ 門を内側
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▼ 玄関の大戸
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▼ 奥の間を庭から見る
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▼ 奥の間に面した庭
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▼ 籠を置いたといわれる石
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▼ 内部の階段タンス
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▼ みせの吹き抜け
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▼ 神棚と餅花
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▼ 二階の床の間
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▼ 土間の中央に置いてあるくど
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▼ 土間の見下ろし
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▼ 屋根裏の登り梁
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▼ 屋根裏
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▼ 大屋根や小さな屋根にも懸魚がついている
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懸魚(クリックするとおおきくなります)(出典 文化財用語辞典 京都文化財保護基金編)
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▼ 離れ
帳台から渡り廊下で「北涼館」と呼ばれる8帖2室と3帖の「離れ」に繋がる。プライベートの庭に面して畳縁が回り、東の8帖は出書院に床の間付きで、奥の8帖が2間の押し入れ付きで北側に狭い廊下の奥に便所が備えてある。これらは隠居部屋である。
 床脇の窓は外からガラス戸、雨戸、障子の順番に建て込まれている。これは北国のディテールで、窓まで積もった大雪の時に雨戸が開かず暗い一日を暮らす羽目にならないように、ガラス戸は開かなくても雨戸だけ開けられ光を取り入れられる収まりである。
が、明治初期のものだとは考えられない。ガラスの桟は外側を向いていることから、ガラス戸は昭和の中頃に取り替えられたのだろう。昭和初期のガラスは室内がわに桟があり外からパテで止めていた。豊岡カトリック、上垣医院などから,,,中尾所見
▼ 離れの間の書院
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▼ 蔵 4つの蔵をまとめたらしい。
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▼ 蔵の下屋にある船
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▼ 家紋のはいった蔵の入口
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▼ 裏側に面する竹林
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▼ 面取りで仕上た玄武岩の石垣
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▼ いつかはもう一度蓮池を・・・・
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広大な敷地に、主屋・土蔵群・屋敷塀・門・作業部屋等しっかりした造りの赤木家であるが決して華やかさはなく、小作人から搾取した贅ではなくあくまで自作経営地主であり、先々代の息子の赤木正雄氏は内務省入省後、全国の砂防工事に於いて多大な功績を残し「砂防の神様」と呼ばれ、後には文化勲章を受章した人物を育てた赤木家は、庶民から尊敬されていた
文献 建築士「つどい」より
▼ 記念碑
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参考  但馬学8月例会

追記 但馬のヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進委員)は現在11名
# by venex4 | 2005-08-28 13:01 | ■ 赤木家