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赤木家( 砂防の父 赤木正雄生家) 5年7月10日 8月27日 調査

■ 赤木家(砂防の父 赤木正雄生家)
 明治 3年竣工 兵庫住宅100選のうちの「住宅10選」にも選ばれている
場所 豊岡市引野972
円山川は普段はゆったりと流れる静かな川であるが、一度洪水に見舞われると、このあたりは一面冠水してしまう危険な河川である。昔から毎年水害との戦いの歴史の繰り返しであった。
ところが明治という年号に変わった時代、円山川が氾濫した時を想定し、周辺の人々に炊き出しの食料を配るための木船を軒下に吊るしている。
また濁流が直設家屋にあたらないように竹を家の周囲に植えるなど、防災の拠点として備えを考慮して作られた農村大地主の邸宅

▼ 全景
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▼ 表側
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▼ 裏側
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▼ 母屋
所謂六間取りの平面である。門正面の応接間と便所の前に玄武岩が目隠し状に積んである。この石は主人の結婚式の時に近郊の村人から送られた由緒あるものだそうだ。
 主屋の東北端にこの家で一番良い部屋で「奥の間」と呼ばれる本座敷がある。2方かね折畳縁を回した8帖敷で、出書院付き一間の床の間、一間の違い棚付きの座敷で竿縁天井、約3寸巾の長押には各々異なる姿の鶴の釘隠しが付いている。
 奥の間を囲むように工夫を凝らした庭がある。出石の殿様から拝受したといわれる花梨の大木や、樫などのこの地域のシンボル的樹木、及び日高国分寺かもらったと言われる礎石の踏み石等。枯れ山水の大きな石組の川と滝、石橋など一級の庭である。
 小屋裏を利用した3階は養蚕と芋などの保存を兼ねた空間で、太い登り梁が3本の柱で支えられた61畳の広さである。
▼ 門を内側
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▼ 玄関の大戸
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▼ 奥の間を庭から見る
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▼ 奥の間に面した庭
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▼ 籠を置いたといわれる石
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▼ 内部の階段タンス
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▼ みせの吹き抜け
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▼ 神棚と餅花
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▼ 二階の床の間
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▼ 土間の中央に置いてあるくど
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▼ 土間の見下ろし
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▼ 屋根裏の登り梁
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▼ 屋根裏
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▼ 大屋根や小さな屋根にも懸魚がついている
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懸魚(クリックするとおおきくなります)(出典 文化財用語辞典 京都文化財保護基金編)
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▼ 離れ
帳台から渡り廊下で「北涼館」と呼ばれる8帖2室と3帖の「離れ」に繋がる。プライベートの庭に面して畳縁が回り、東の8帖は出書院に床の間付きで、奥の8帖が2間の押し入れ付きで北側に狭い廊下の奥に便所が備えてある。これらは隠居部屋である。
 床脇の窓は外からガラス戸、雨戸、障子の順番に建て込まれている。これは北国のディテールで、窓まで積もった大雪の時に雨戸が開かず暗い一日を暮らす羽目にならないように、ガラス戸は開かなくても雨戸だけ開けられ光を取り入れられる収まりである。
が、明治初期のものだとは考えられない。ガラスの桟は外側を向いていることから、ガラス戸は昭和の中頃に取り替えられたのだろう。昭和初期のガラスは室内がわに桟があり外からパテで止めていた。豊岡カトリック、上垣医院などから,,,中尾所見
▼ 離れの間の書院
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▼ 蔵 4つの蔵をまとめたらしい。
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▼ 蔵の下屋にある船
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▼ 家紋のはいった蔵の入口
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▼ 裏側に面する竹林
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▼ 面取りで仕上た玄武岩の石垣
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▼ いつかはもう一度蓮池を・・・・
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広大な敷地に、主屋・土蔵群・屋敷塀・門・作業部屋等しっかりした造りの赤木家であるが決して華やかさはなく、小作人から搾取した贅ではなくあくまで自作経営地主であり、先々代の息子の赤木正雄氏は内務省入省後、全国の砂防工事に於いて多大な功績を残し「砂防の神様」と呼ばれ、後には文化勲章を受章した人物を育てた赤木家は、庶民から尊敬されていた
文献 建築士「つどい」より
▼ 記念碑
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参考  但馬学8月例会

追記 但馬のヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進委員)は現在11名
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by venex4 | 2005-08-28 13:01 | ■ 赤木家