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■ 平尾源太夫邸

■ 平尾源太夫邸
年代 明治28年着手
場所 豊岡市○○

平尾家は、江戸時代、元禄期から土地の集積をはじめ、幕末に至る約180年間で、実に207町歩という広大な面積の田畑を有する但馬最大の地主でした。
一般農民が領主に対する年貢米に困って平尾家を頼り、その代償として土地の「永代譲渡」をしたものが元になったようです。
平尾家は、このように近世以来の当地の名家であり、農地解放以前は但馬地方では最大、県下でも屈指の大地主でした。敷地は森尾の集落の中央に位置し、一般の民家は川沿いに建っていますが、平尾家は敷地内に川を取り込んでいます。
川に面して川井戸が設けられ、その後方に主屋が川に並行して建ち、主屋の上手には本蔵、さらにその上手には離れ座敷が建ち、また、敷地の周囲は隠居部屋や蔵や小屋が建っています。さらに、主屋上手の前方は板塀で囲って庭園をつくり、離れ座敷背面にも庭園を備えています。主屋の建立年代は、手斧初の時に作られた札により明治28年11月14日に着手され、その数年後に完成したと推定されます。大工は西田磯治氏、豊岡の宮大工と伝えられています。磯治氏は、大屋町の鎌田家(「兵庫県住宅100選」)も造ったとされ、近辺の豪邸をいくつか手掛けてきたと言われています。
架構(屋根構造)は、伝統的な和小屋と推定されますが、下手土間側の屋根を切妻造りとして、妻に疑似トラスを見せており、新様式を積極的に取り入れている様子がうかがえます。
主屋は、吟味された良材をふんだんに使用している上に、権(床などの化粧横木)、鴨居(引戸などの上部の横木)、長押(柱と柱をつなぐ水平材)、建具等を漆塗りとしたり、手の込んだ仕事がなされ、しかも現在でもほとんど狂いがありません。明治期の建物らしく、江戸時代とは異なった要素が認められ、明治期の住宅の様相をよく示し、その時代を反映しています。
「新緑の史跡と旧家を訪ねて」 豊岡市出土文化財管理センター

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■ 外観
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by venex4 | 2006-09-17 20:20 | ■ 平尾邸